三富新田の思い出

下富

こんにちは。今日は、私が子どもの頃に住んでいた場所について書きたいと思います。それは、埼玉県所沢市下富というところです。先日、母の81歳の誕生日を所沢で祝った折、8月19日に久しぶりに下富を訪れてみました。昔の地割りの名残はまだ確認できました。その際の写真を添付します。

下富は、江戸時代の元禄年間に川越藩によって開拓された三富新田の一部です。三富新田は、武蔵野台地上の一地域で、現在の所沢市中富・下富と入間郡三芳町上富に広がっています。開拓は、幅約11mの道を縦横に開くことから始められ、その両側に約5haの短冊状の土地が配分されました。この地割りは、埼玉県の旧跡に指定されています。

下富の風呂無しボロアパート

私は昭和46年生まれで、昭和51年に下富に引っ越してきました。私は母と二人で、お風呂のない、トイレは共同の汲み取り式のアパートに住んでいました。間取りは隣り合った1DKの部屋の壁を壊して2DKにした作りで1階でした。 先日下富に行った際、そのアパートを探しましたが、住んでいた当時すでにボロボロで今にも取り壊されそうでしたから、当然見つかりませんでした。

僕の鼻が曲がっている理由

ボロアパートは、木造1DKの部屋の壁を壊して2DKに改造したので、幅5cm程度の柱だが部屋の中心に残されていて、危険なつくりでした。ある時、活発な僕は部屋を走り回っていたら、柱が見えずに鼻から激突し、鼻血を大量にだしました。病院には行かなかったのですが、僕の鼻はそれ以来ちょっと曲がっています。

トイレのちりがみ?

トイレの紙は、いわゆるロール式のトイレットペーパーではなく、あらかじめ切れている四角い紙のちりがみや、古新聞がトイレの傍らに置かれていて、それでおしりをふいていました。皆さんは、「ちりがみ」を見たことがありますか?

銭湯

ぼろアパートにお風呂はついておらず、週に2回ほど、車で30分ほど走って、新所沢にある銭湯にいきました。銭湯の帰りに母が買ってくれるコーヒー牛乳やミルクセーキがおいしかったです。

垢だらけのお風呂

ある時、母の友人の家が風呂を貸してくれたことがあったのですが、その家の主が私たちのことを快く思っていなかったのか、私たちがお風呂に入ろうとしたら、湯船に垢が大量に浮いていて、お風呂を沸かしなおしたことがありました。それ以来、その家のお風呂を借りなくなったのを覚えています。

母子家庭が住みにくい時代:昭和

母は、子育てと仕事を両立するため、夜スナックで働いていました。結婚してくれなかった私の父の援助を全く得られかったのと、当時の行政のひとり親家庭に対する保護や援助が今ほど充実していなかったため、生活は決して楽ではありませんでした。昭和の時代はいわゆる核家族が典型的な家族のスタイルで、そこから逸脱した母子家庭にはとても住みにくい時代だったと思います。

母の決意

私の父は別の家庭を持っていて、母への仕送りを滞らせ、私を認知しなかった。母はそんな父に見切りをつけ、練馬のマンションを出て、私を一人で育てる決意をしたのです。その時、母はどんな思いだったのでしょうか?その時の母の勇気と行動力に今は只々感謝するばかりです。

母のいない時間

母は夜仕事なので、毎晩7時ぐらいには家をでて行ってしまいました。寂しいのでテレビを一人で見ているのですが、「8時になったら消しなさい」と言われていたので、テレビを消すと、一人の寂しさと恐怖が襲ってきたのを覚えています。

下富の自然

私は、友だちと一緒に自転車で遊んだり、虫取りをしたりして気を紛らわせていました。川は近くにありませんでしたが、遠くに行けばカニやザリガニを見ることができました。それらを捕まえて家に持ち帰って飼ったこともありましたが、すぐに逃げられてしまいました。近くには畑と森がたくさんあって、毎日クワガタやカブトムシなどの虫を取って楽しんでいました。 下富には、商店街や駄菓子屋などはありませんでした。あるのはただ畑と林と保育園と小学校でした。それでも私は、自然や仲間とのふれあいを楽しんでいました。

いかがでしたでしょうか?45年ぶりに訪れた下富の思い出を綴りましたが、コメントをいただけると励みなります(^^♪